来歴|History

 大彦 沿革

江戸前期 天和年間(1681年~1684年)
初代・大門彦右衛門(享保年 1719年死去)は族親の大門助右衛門と共に、遠く加賀国より黄金谷(現地・新屋表町)へやってきた。油屋を営み後に醤油醸造部を創業した。以来、時代の潮流に合わせた商いを営みながら一貫して同地にて商売を継続し現在創業三〇余年 十三代・大門彦右衛門に至る。

文化十一年(1814年)の大火で当家も類焼を免れず、亀田藩の御用商人として亀田藩主・家臣連名による見舞状を拝受している。

最も古い建築部分には、棟札が無いが妻飾りや意匠、小屋組の技法や構造形式から推定して江戸末期の建築と思われ新屋では最古の町家となっている。

店舗横の坪庭から道路をおおう丸い樹冠を張り出した大木は、商標ツバキ醤油の由来ともなり、当時「大門の玉椿」の名で通行人の傘となり、日陰に馬を休め、新屋に不案内な人の道しるべとなった。残念ながら、昭和二十五年樹齢約三〇〇年を迎えた冬に雪の重みに絶えきらず倒壊した。現在の椿は、当時の当主が枯れてしまった玉椿を偲び跡地に植えたものである。


明治四十年「秋田繁栄誌」より

広告 賛助 新屋町役場 (当時)